【お盆特集】婆ちゃんっこだった僕と祖母との想い出【晩年編】 | 考えるオヤジ    

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【お盆特集】婆ちゃんっこだった僕と祖母との想い出【晩年編】

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      2016/02/20



この記事は、【お盆特集】婆ちゃんっこだった僕と祖母との想い出【借金編】の続きの記事となります。

【お盆特集】婆ちゃんっこだった僕と祖母との想い出【戦争編】から始まるシリーズものであり、今回がいよいよ最終回!(まとまるか少々不安ですが・・・)

大借金をなんとか返した爺ちゃんと婆ちゃん。3人の子宝に恵まれ、しばらくは平穏な日々が続きます。

長男が結婚し、その翌年の1976年冬、このブログの著者であるワタクシ、しろうめず@ShiroUmezが誕生。3人の息子たちと嫁、そして僕含め5人の孫を持つに至った婆ちゃん。

僕が高校生の頃、爺ちゃんが他界。肩の荷が下りた(?)婆ちゃんにとって、大好きな旅行をしたりダンス教室に通ったりと、自由気ままな毎日が始まるはずでした。

そんなある日、突然の脳梗塞を発症。婆ちゃんの左半身は、その後死ぬまで動くことはありませんでした。

 

婆ちゃんにとっての幸せ

車椅子

婆ちゃんは本当に姿勢の正しい人だった。背筋をぴーんと伸ばしてサクサク歩く、元気な婆ちゃん。犬の散歩も好きだった。

元気に歩くイメージしかない婆ちゃんが、もう二度と歩けなくなるなんて考えたくもなかった。ずんずん歩くのが婆ちゃんだろ?歩けないってなんだそれ意味が分からん。婆ちゃんが倒れたと聞いた日、そんな想いで一杯になり頭の中はパニックだった。

脳梗塞になってから、退院はできず転院を繰り返していた。たまの外泊許可を貰い家に帰ってご飯を食べることが、婆ちゃんにとっての生きがいとなった。もちろん自力では食べられない。両親や僕がスプーンで口へ運んであげた。

婆ちゃんそのたびに泣くんですよ。幸せだって。

 

婆ちゃん永眠

遺言

平成19年、婆ちゃんは自分の家に帰ることなく、病院で亡くなった。最後は癌だった。

亡くなる二日ほど前、見舞いに来た僕と妻(当時は彼女)に、婆ちゃんは機関銃のように話しを始めた。聞いたって嫌がって話してくれなかった戦時中の話、僕たちの結婚についての助言(?)など。

特に何回も口にした言葉は「家族を大事にしろ。みんなに好かれろ。」というもの。本当の親の、温かみを知ることができなかった婆ちゃん。誰よりも家族というものの絆を大事に思っていたのだろう。

でもまさか二日後に亡くなるなんて思っても無かったから「はいはいわかってるよw」と、全ての話を軽ーく受け流してしまったことを今でも後悔している。いや、真剣に後悔している。あの日が戻ってこないものかと何度も思ったくらいに・・・。

もう一度見たいな、歩く姿

そういえば婆ちゃんが亡くなってから、何度か夢を見た。婆ちゃんが元気に歩いている夢だ。

あれ?婆ちゃん生き返ったん?良かった、しかも歩けてる。そりゃそうだよな、婆ちゃんだもんな。でもなんで歩けなくなったんだっけ?あれ、婆ちゃん、死んだんだっけ・・・。目が覚めるといつも溜め息がでる。なんだ夢かと。未だに見るんだよね。

 

衝撃の事実!養子縁組の真実

他人では無かった

婆ちゃんが亡くなって何年か後の話。ふとしたことをきっかけに自分のルーツを辿りたいという欲求に駆られ、家系図を作ろうとしたことがある。役所に戸籍謄本をもらいに行ったり、お墓に掘られた文字を解読したり。どこまで遡れるんだろうかとワクワクしながら取り組んだものだった。

婆ちゃんの戸籍を遡っていったとき、自分にとって衝撃の事実に辿り着いた。

それは、婆ちゃんを養子にした父親本当の父親従兄弟関係にあったことだ。婆ちゃんは本当の親に捨てられて、まったくの赤の他人に引き取られたというわけではなかったのだ。

養子に出された先の夫婦(要は僕の名字となる家)は子宝に恵まれなかった。自分より歳が6歳若い従兄弟の嫁は、今度3人目の子を産むという。

この時代、なによりも家の繁栄を大事にする世の中である。家(名字)が途絶えるなんてあってはならない。両家の間で話し合いが行われ、最終的に産まれてくる婆ちゃんを養子としてもらえないか、という結論に至ったのだろう。

もちろん僕の推測ですが。

曾婆ちゃんと婆ちゃんの気持ち

嫁ぎ先の家の都合で、産まれたての可愛い可愛い我が子を手放さなければならなかった曾婆ちゃん。どれだけ辛かったことだろう。苦しんだことだろう。

人の親となった今だからわかる。婆ちゃんは、捨てられたのではない。この時代仕方がなかったのだ。曾婆ちゃんは、娘である婆ちゃんと離れることなんて考えたくもないくらい辛いことだったんじゃないかって。

書いててふと思いました。婆ちゃん、気付いてたのかもな。そうだよね、僕のような部外者(?)でも気付くくらいなんだし。育ての親の気持ちをずっと考えてたんだろうな。婆ちゃん優しいから。

 

曾婆ちゃんの生活

生前、婆ちゃんが蛇蝎の如く嫌っていたので、僕は自分の血の繋がった婆ちゃんのことを一切聞かされていなかった。いや、僕どころか、息子である僕の父さえ本当の婆ちゃんのことなんて詳しく知らなかったというから驚きである。

婆ちゃんは、育ての親を、最後まで慕い大事にしてきた。生涯生みの親を嫌うことで、その気持ちを完遂させたのだろう。

ルーツを辿っていた過程で、血の繋がった曾婆ちゃんの名前を知り、お墓とお寺、亡くなるまで住んでいた家の跡地を知るに至った。父・母・妻と僕の4人で現地まで行ってみたことがあるのだが、そこで曾婆ちゃんが生前仲良くして頂いていたというご近所さんのお話を聞くことができた。

90はとうに超えた腰のまがったお婆さんと、その息子さん(60代かな?)。「あのお婆ちゃん、身寄りのない方だと思ってました。」

曾婆ちゃんはこのご近所さんに家(というほどのものではなく畳一畳分ほどのスペース)と小さな畑を借り、そこで作った野菜を担いで売り歩き生計を立てていたと聞いた。

生きていた頃の曾婆ちゃんの話を沢山聞けた。父も、初めて訊く血の繋がった祖母ちゃんの話を興味深そうに訊いていた。

 

まとめ

僕の娘たちは僕の婆ちゃん、すなわち曾婆ちゃんに会えませんでした。婆ちゃんが亡くなった翌年に妻と籍を入れ長女が産まれたのはその3年後ですから。

4歳と2歳の娘たちはいつも仏壇の前に座り、手を合わせてくれます。現在はその仏壇に、血の繋がった曾婆ちゃんの名前と戒名を書いた紙も置いてます。婆ちゃん、余計なお世話だってあの世で怒ってるだろうかw

それにしても婆ちゃんに、僕の子供たちを見せてやりたかったなぁ。

【お盆特集】婆ちゃんっこだった僕と祖母との想い出シリーズは以上でおしまいです。オチもなんも無い文章ですが、お盆休みの暇潰しとして読んでいただけてたら嬉しいです。

では以上です!しろうめず@ShiroUmezでした。




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Comment

  1. ぐるちゃん より:

    とても素晴らしい話でした。
    ありがとうございます♪
    自分にも今年老いたお祖母ちゃんがいます。
    会えるのになかなか会ってない…
    これからはできるだけ会うよう心がけます!

  2. shiroumez より:

    ぐるちゃんさん
    コメントをありがとうございます。そのように想って頂けて大変嬉しく思います。
    お祖母ちゃん、いつまでも大事にしてあげてくださいね^^